The World of guitar roots

ギターの起源と歴史認識

ギターその楽器としての考古学的考察

従来ここには2つの学説が存在するのである。それがアラビア起源学説とローマ起源学説である。

ギターはローマ起源か、アラビア起源か2説ある中、以前から英国の歴史学者はローマ起源を主張していましたが、世界的にはアラビア起源説が優勢でした。なぜなら、ローマ起源にはアラビア起源説より古い物証が無かったためです。

 

ギターの歴史は音楽の歴史である。

ギターに於けるアラビア起源学説

 弦楽器のルーツは、人類史上初の文明であるとされるシュメール(正式にはスメルと言う)時代に於いての壁画に描かれている弦楽器、名前は判らない!ライア、ハープの先祖であり今では名前は実際の処判らないのである。この弦楽器がライア、ハープになるがこの楽器は撥弦楽器で当然指弾きであるのであるが、この過程に於いてウードに、そしてそれがリュートに移り変わりギターと成って行った。そのギターはまだ複数(2本の弦)の5コース若しくは6コースのギターである。この複弦のギターではギターテクニックのトレモロ奏法はその実現は成されていないのである。この学説は所謂ギターに於いての起源がアラブに於いて発生したとされるアラブ起源学説である。この学説は所謂楽器とは関係の無い歴史学者及び考古学者が現在に残る楽器及びその古代の壁画に描かれているレリーフ等によって分析し考察された物である。この学説が一般的に普及した事により広く一般論と成って行ったのである。

ギターに於けるローマ起源学説

しかしながら現在に於いても学術学会では議論してもその答えをまだ導いてはいないのが現状であったのであるが以前から英国の歴史学者、これは物証が無いままでその状況証拠所謂現在のスペインに渡る以前にローマからイタリアに時間軸的移動の確認は成されている。従来この物証が乏しく議論に成らなかったが、2008年、ここに来て一つの光明が見つかったのである。

 スペイン第1紙である新聞社エルパイス(el pais)に載った2008年6月21日付き新聞紙上の記述がある。

https://elpais.com/diario/2008/06/21/madrid/1214047461_850215.html

 

前記の記事にはローマ起源学説を裏付ける物証が見つかったとの記述がある。

 クラシックギター製作者であり研究家であるマルセリーノ・ロペスがスペイン・メリダの古代ローマの遺跡のレリーフを他ならぬ証拠であると主張したのが、スペイン全国紙であるエルパイスに取り上げられ、世界が注目した記事です。そしてこのローマ壁画のレリーフを見て頂きたい!明らかにローマ人がギターを弾いているのが確認出来るのである。ここでは何ととんでもない事が確認出来るのである。即ちこのローマ人は(フェルナンド・ソルが単弦に依る6弦ギターをそしてフランシスコ・タレガにより現代に通じるギター奏法を確立しているのであるが)良く見て欲しいのであるが、ピッキングする右手の人差し指、中指、薬指が同一線上に並んでおりアルペジオでは無く明らかにトレモロ奏法であるのだ。この事により確認出来る事は複数弦のコースギターでは無く現在のギターと共通概念であるた単弦のギターである事が確認出来たのである。この事はこの古代ローマ時代に於いて既に今日のギター所謂単弦6弦のスタイルを確立していた事を示唆する物である。

新たなる仮説 シュメール起源新たなる仮説 シュメール起源仮説

ここで私は疑問に思うのであるが、依ってここに一つの仮説を立ててみたのが、ローマ、アラビア間に於けるスパイラル起源説である。アラブ人がスペインまで戦争により攻めて来ている。またローマ人、ローマ帝国は広範囲に国土を広げて行った歴史がある。この事は何等かの物資が移動する事を意味する物である。当時のアラビア地域とローマ帝国は物流が無かったであろうか?シュメール今で言うイラク辺りであろうか、ここからギターの先祖と言えるウードが生まれている。

  シュメール(紀元前15,000年前)エジプト(紀元前3,000年前)バビロニア(紀元前3,200年前)ギリシャ(紀元前700年前)ローマ(紀元前700年前)と古代の歴史は続くのであるが、これらの時代は単独に存在しているのでは無くて(シュメール時代は例外)重複して尚交差しておりお互いに影響し交易及び交戦する事により互いの文化交流が有ったと考えられる物であると言えるのである。古代ギリシャ時代の竪琴であるキタラ―がギターの語源であるのだが!これはギターローマ起源説の状況証拠であるに違いないのであるがしかしながら何故この竪琴がギターに変わったのであろうか?ここに生物学的な考察即ちダーウィンの進化論の如く楽器に於いての進化論が必要に成るのだが、古代エジプトからヨーロッパにスペイン経由でリュートの小型楽器の様な楽器ギターンが渡ってくる。その後ルネッサンス時代に複弦4コースギターが登場する。この時には既にイタリアローマに於いては現在のギターに近い楽器が出現していたのである。一般論としてはアラビア起源である処の中東からウードが出現してヨーロッパに渡りリュートへと変化してこれがスペインに移動して複弦5コース、6コースギターへと進化している。しかしながら前途記述にある様にローマに於いてはローマ帝国時代のスペイン・メリダの古代ローマの遺跡レリーフにあったギターを弾くローマ人は新たなる指標を打ち出してしまった。即ち古代ローマ帝国が支配する非常に広範囲な場所に於いてギターが存在する事が判ったのである。時間軸上一般論とは違う結果に成るのである。尚ギターの語源に成ったキタラ―(κιθάρα)は古代ギリシャ語でありラテン語ではチタラ(cithara)である。このキタラ―は7弦のリュラーの進化したバージョンである。この当時の古代ローマと古代ギリシャはお互い戦争をする仲で相互に戦利品を持ち帰る事により、双方に文化、文明に於ける文化財を持ち込んだと考えられる。前途記述の古代ローマ時代の遺跡レリーフがスペイン・メリダの場所から見つかったことは、この議論を、終わらせる物的証拠であるがしかしながらこの事は古代ローマ時代紀元前700年程以前に存在していたと云う真実が確立した事に過ぎない。そしてこの事はそれ以前にもギターが存在していた可能性もあると考えさせられる。そしてギターの進化論としてライア、ウード、リュートからギターと進化して来たとされる進化論とは違う優生学が存在する事になる。お互い双方に影響し合い、ライア、キタラーそしてギターと進化して来たのである。

 以上の事から次の事実が確認出来るのである。即ちエジプトからスペインにリュートが伝わりその後ギターに進化したのでは無く!紀元前300年には既にギターは存在していたのである。 

 


スパイラル クルセイダース

クラシック音楽では無いですが!

ラリーカールトンのギターワークが最高です!

 


ここに前途記述の仮説が成立する。

 ギターの語源であるキタラ―は所謂竪琴であり通常のギターとは似ても似つかない!この竪琴キタラ―からギターに移行するに際し影響を与えた楽器が有ったはずである。ここに影響を与えたのがウードでは!と考えられます。即ちウードからリュートに成りそこからギターに成るとされていたのが、ウードからキタラ―と何等かの関係でギターが形成された!と考えるのが自然な考察と言えるののである。

 ルネッサンス時代に於いて5コース、6コースギターが誕生しているがこれは、前途のリュートから発生影響を受けたとされる楽器である。しかしながらここで考えてみると、矛盾が現れる!

 エルパイス紙による記述により紀元前700年前のローマ時代の壁画に有ったギターのレリーフはこれを完全に否定する物である。即ちこの事は、ウードからからキタラ―と何等かの関係でギターが形成された!と考えるのが自然な考察と言えるののである。

 ルネッサンス時代に於いて5コース、6コースギターが誕生しているがこれは、前途のリュートから発生影響を受けたとされる楽器である。しかしながらここで考えてみると、矛盾が現れる!

 エルパイス紙による記述により紀元前700年前のローマ時代の壁画に有ったギターのレリーフはこれを完全に否定する物である。即ちこの事は、ウードからリュートへ、そしてこのリュートから5コース、6コースギターへ進化の過程が確認出来る物であるが!シュメール時代から伝わる竪琴キタラーが前記の様にウードが影響を与えたであろうと推察される。ここで一つのコンクルージョンが現れる!即ち5コース、6コースギターはギターに進化させた存在では無いと言う事である。何故ならばこれらの複弦コースギターはリュートから進化した楽器であり古代ローマ時代には存在してはいなかったのであるからである。

 この古代ローマ時代の壁画に於けるレリーフに描かれたギターは一体どんなギターであるのであろうか?

 ここではダーウィンの進化論及びピタゴラスの定理からこのローマ時代の壁画に描かれたギターの秘密を解き明かしていきたいと思うのである。

 我々の身近にある万物全てがある一つのゴールデンルールによって支配されている。万物の存在はその時々の時代に於いて、その状況下に於いて適応する為には、その形態を変化調整する事を余儀なくされたのである!古代から現代に於いてまでその歴史は戦いの!戦争の歴史であった。一日たりとも戦いの無かった日は存在せず!世界中のどこかで必ず戦い!戦争が行われているのである。シュメール時代の古楽器がライアからハープにそして携帯性及びその利便性の良い竪琴に其の後のキタラーにと進化していく事に成る。そして、その時代、時代に対して淘汰されていくのであるが、今でも現存している楽器も存在するのである。ここで話を戻すが、古楽器の竪琴キタラ―がギターに進化する過程に於いて現在のギターへとその形態を進化させるに当たり、このキタラ―とウードがクロスオーバーしてハイブリッド化した楽器こそがギターであると言えるのである。

 古代ギリシャ時代に於いてピタゴラスは幾つかの法則を世に発表しているが、所謂ピタゴラスの定理及び音律である。

 このピタゴラスの定理によりギターの構造理論が解り!ピタゴラス音律によりギターの進化の過程が導き出されるのである。この古代ローマ時代の壁画に描かれたレリーフのギターは、歴史的には古代ギリシャ時代に重複しているのであるが、この事によりこのギターはピタゴラスの定理音律に依存しているのである。即ちこのギターにはフレッチングは成されてい無いのである。音律に於ける歴史認識はピタゴラス音律及び純正律の時代は全ての楽器は現在のフレットは存在しないのである。リュートはウードから発展したとされるが!ウードはフレットレスであり、リュートはその使用されている弦をネックに巻き付けフレットとしている。従ってこの時代は純正律である。他の楽器、擦弦楽器であるバイオリン、コントラバス、ビオラ、チェロ等はフレットレス楽器であるが故にその時代背景は純正律であると察する事が出来るのである。この事と同様に古代ローマ時代の壁画に描かれたレリーフのギターはフレットレスギターであると思われるのであるがしかしながらそのレリーフのギターはどの様な構造であったであろうか?想像すると次の様に察する事が出来る複弦コースギターのその出自がリュートからの進化であるのに対して、このギターの元祖である古楽器ギターはキタラ―のウード化した楽器と想像出来るのである。キタラ―はウードと違い竪琴であるので単弦であろうがそのボディはウードに近い物と思われるのである。即ちウードが11弦であり複弦5コース、1単弦で現在のギターピックにあたるリーシャで演奏するのであるが、このギターは現在のクラシックギターと同様に指弾きで!よってこのギターの弦は単弦であると思われるのである。よってこのギターの元祖はウードやリュートのボディに近く単弦で、解り易く考えればリュートをフレットレスにし単弦で指弾きにした物である。と言うのは、弦楽器に於いては、その進化上に現れたフレットとは、純正律から平均律に移行した事による理論値から割り出した弦長値に対しての各音程の弦長を分割しフレットを打つ事にした物をフレッチングと言う。これにより現在のギターのスタイルが確立したと言えるのである。と言う事は、平均律の出現以前はフレットを持つ弦楽器は存在しないのである。

 この楽器に於ける進化論は、それと同時に音楽に於ける進化の過程をも表す事になるのである。即ち純正律では無し得なかった。他の調性への移調が可能になりそれに伴い音楽の幅がより豊に成りより表現力が生まれたのである。ここから古楽器を使う古典クラシック音楽から近代クラシック音楽そしてその後のジャズに進化の過程でこのフレットを持つ弦楽器は必然の帰結であると言えるであろう。これに因り前途の様に自由に移調転調し、或いはマイナーコンバージョン、スケールアウトとアドリブ、インプロビゼイションにより自由度が増したのである。これはフレットを持つギターの出現を待たなければ成らなかったのでありそれ以前はメジャー、マイナースケール共々存在せず唯モード旋律が存在するのみであったのである。モード旋律即ちクロマチックでは無いペンタトニックスケール所謂5音音階である。現代に於けるジャズのモード奏法は1959年のマイルス・デイビスに於けるカインド・オブ・ブルーにより登場する事に成るのであるが、このモード奏法は元々は平均律の出現以前の純正律の時代にはこの演奏方法が音楽の基本であったと言えるのである。この様に音楽と楽器は車の両輪の様な関係である。


 ウードからリュートに進化するのであるがこの時にフレットが出現するのであるが、もう一方のライアからキタラーへウードの影響を受けた、ローマ壁画レリーフのギターの元祖は6弦であると思われるが、こちらはフレットレスであるのだが、リュートから5コース6コースのギターが進化して出現するがこちらは未だに復弦ギターである。このギターはフレットが有るが弦が復弦で!ローマ壁画レリーフのギターは単弦で尚且フレットレスであるが、この双方がお互いに影響を受けつつ互いに与えたのであろう。

 でなければ、現在の単6弦ギターに結び付かないのである、。と言う事で私はギターの起源はこの間のスパイラルである、と考えられ、よってここにギターの起源が仮説であるが、ギタースパイラル起源説を唱える物である。

 では今日に於けるギター即ちスパニッシュギターと呼ばれたギターの起源、所謂ヨーロッパに於いてのギターの歴史的な流れは、如何にして、今日まで繋がっているのであろうか?ここに参考資料としての文献がある。現代ギター社の「図説 ギターの歴史」ペーター・ぺプゲン著、田代城治 訳、1997年12月12日第1刷である。この本の26ページには非常に面白い記述が有る!ビウェラ/

ビオラ=ギターラ 弓で弾くビウェラ=ローマ人のギターラ 弾奏されるビウェラ=ムーア人のギターラとある。ここではビウェラとギターラとの共通項及び相違点が何であるか?紀元前から13世紀に至るこの歴史上に於いてこの楽器が!遺跡レリーフに残されたその描かれた画像を確認すると確かに先程の記述が確認する事が出来るのである。ギターは弓で弾かれていたのか!この場合は擦弦楽器にカテゴライズされる事になるが、その他は現代のピックに該当する物で奏でるのか!又は現在のクラシックギターの様に指弾きであるか!なのである。だが!しかしながらこの議論も2008年6月21日付のスペインの新聞社であるエルパイスの記事に於ける記述の紀元前300年のローマ時代の遺跡のレリーフではギターは既に指弾きである。この本では11ページから20ページに第2章 ヨーロッパにおけるギターの起源とあるが、ここに数点の画像があるのだが、ここにギターの紀元前のレリーフが確認出来るのである。

ヒュウクのレリーフ

(紀元前1400-1300年)

このレリーフは恐らくは前記の様な3000年以上も前のアジャラ・ヒュウク遺跡のレリーフでクルト・ザックスによると「胴がギターの様にくびれた」所謂「串状ネック・リュート」を弾いている。

ここで重要な事は胴がくびれている事である。

エシュヌンナのテラコッタ・レリーフ

(紀元前1900年頃)

このレリーフでも串状ネック楽器である事が確認できる。

イシュチャリのレリーフ

(紀元前1800年頃)

前記のレリーフ同様に串状ネック楽器である事が確認出来るのである。

 

サッカラのレリーフ(紀元前1350-1300年頃)

「串状ネック・リュート」が確認出来るのである。

リラのレッスン

壁にキタラが掛かっている。

(紀元前475年頃)

キタラはギターとはその構造理論が違うのがこの図形を見ても明らかに違うのがわかる。

エリトレアのテラコッタ像

(紀元前300-200年頃)

ここでは共鳴胴が板で組み立てられる様になった。


ギターの歴史 コンクルージョン

  以上の事から次の様に考える事が出来るであろう。以前であれば現在のギターの原型が出自したのは中世ヨーロッパであるとされていたが!これは前途の古代ローマ遺跡からギターを弾いているギタリストのレリーフが発見された事により完全に否定される説である。よって前途の参考資料文献の「図解 ギターの歴史」は否定されて過去の物に成ってしまったと言えるであろう!がしかしながら上記の数点の発掘されたレリーフ群は違った意味を持つ事に成るのである。古代ローマ遺跡から出土したレリーフでは、そのギターのボディ形状が確認出来ないのであるが、これらのレリーフ群はその答えを導いてくれるであろう。

 サッカラのレリーフで判る事は次の通りである。この楽器は現在のギターと同様にそのボディに窪みが存在するのである。

 キタラがギターに進化の過程でレゾネイター部分所謂共鳴部である共鳴胴ボディを得る事に成る。これは紀元前475年頃の土器であろうか、ここに描かれている所謂リラのレッスンに描かれている物である。弾いている竪琴は共鳴胴を持たないが、壁に掛かっているキタラはそう思えば共鳴胴が有る様に見えるのである。それはエトレリアのテラコッタ像でもあきらかである。古代ローマ遺跡は紀元前700年程以前であるが、このヒュウクのレリーフ、エシュヌンナのテラコッタのレリーフ、イシュチャリのレリーフ等は、古代ローマより古くいずれも紀元前1900年、1800年及び1400~1300年頃である。これにより次の様に考察する事が出来るのである即ちこの参考文献である「図解 ギターの歴史」の問題点であるが、串状ネックリュートとされているがリュートであればそのネックの指板上にはフレットば存在する事に成るのであるが、この辺りの時代は当然の事ながらメジャー、マイナースケール等存在してい無い恐らくこの時代はモードである依ってフレット楽器は存在してい無いのである。即ちリュートも現在のギターも1100年代に出自した物である。ここではどう考えてもウードの原器であろうと考えるのが自然であろう。ただ恐らくは紀元前400年程には彼のピタゴラスがピタゴラス音律を発見発明しておりこの時代にはフレット楽器が存在したと考えられるのである。

 ここに一つのコンクルージョンが成立するのである。現在に於ける最古のギターの全貌が明らかに成ったのである。個人的見解ではあるが、洞察力、推理を働かせ古代ギターの!その外観フォーミュラが蘇るのである!がその前にここでとんでもない事が確認出来るのであるが!それはウードからリュートへ進化したのは今では自明の理であろうがしかし!リュートからギターへ!との進化の過程はここに否定される事に成ってしまったのである。と言うのは古代ローマ時代からギターは存在していて最初期のギターはフレットレスであるからである。今日に於いてウードの歴史が現存する最古の図形的記録は今から5000年程以前に遡る。よってキタラはこの時代にウードと融合したのではないか!と考えられるのである。という事でこの古代ローマ時代の「紀元前ギター」は当初はフレットレスでありウードやリュートと同様の共鳴胴が存在しているのであるがそのボディ形状がバックはトップ表面版同様にフラットになりボディに曲線的な括れが窺えるのである。そして問題はそのネックのヘッド部分が恐らくはウードやリュートの様に極端なヘッド角度に成ると推論される。何故ならばこの時代のこの手の楽器はボディに対してのネックの仕込み角度が無くフラットであるからで!この様な楽器では楽器としてのテンションが得られないからであるのだ。この帰結は以上の事から考察し分析した結果であるが勿論仮説ではあるのだが!しかしながらここからは完全に仮説に成るのであってしまうが、紀元前400年程、その頃には恐らくはピタゴラスが自身の理論を発表していてピタゴラス音律が世間に認知していたと仮定すると、この直後にはこのギターにフレットが付属する事に成る。これにより以下の事が確認される事に成るそれは中世に入りビオラからギターへ!4コース所謂バロックギター5コースギター所謂ルネッサンスギターからギターへ!と言う進化の過程もこれにより完全に否定されてしまったのである。古代ローマ時代及び古代ギリシャ時代は並列に存在しておりここにスパイラルして文化の共有性が存在していたと考えられるのである。この事はウードにも言える事でこの時代のウードにはフレットを有した物が存在していたとされる。尚この「紀元前ギター」はこのレリーフを見る限りウードで使用するリーシャやマンドリンで使用する様なピック所謂プレクトラムを使用していないのであるが、この事によりこれは現代のギターにその意味から近いと考えられる。


 このエルパイスの記事から察するに次の事が分かるギターのこの元祖とも言うべきギターは紀元前の事として恐らくはフレットレスであり、そのボディ形状はウードやリュートの様でありまたビオラダガンバの容量でありウードやリュートの様にアーチバックではないと考えられるのである。今考えられるのは想像するしかないのであるが、ウードとビオラダガンバのクロスオーバーの様な外観であると考えられる。